10.1 本章の概要
価格は、マーケティング意思決定者が調整する重要なマーケティング戦術要因(4Ps)のひとつである。価格は4Psの中で唯一企業にとっての収入を生む要因であり、製品の需要量やイメージにも関連する重要な意思決定項目である。消費者の視点にたてば、価格は自身の予算制約のもとその製品が購入に値するかを判断する定量的かつ認知的な情報であると同時に、品質や高級感を推測するための心理的影響を持つ情報としても機能する。マーケティング意思決定者はこれらを踏まえ、製品のマーケティング戦略や目標と一貫するように価格を設定する必要がある。しかしながら、どの程度の価格で販売すれば、消費者が安い/高いと感じるのだろうか。本章では、「消費者が知覚する価格水準」について理解するための方法として、価格感度測定(Price Sensitivity Meter; PSM)という手法を説明する。
PSMは、消費者に製品の価格に関する4つの質問を提示し、その質問への回答に基づき消費者の知覚する価格の特徴について知見を得る方法である。そのため、PSMはマーケティング戦術決定に役立つ調査・分析手法でありながら、高度な分析手法を用いる必要がない。また、Rを使用する場合、分析についても非常に容易である。このことから、この手法はアンケート調査による簡便なアプローチとして広く実務的に用いられている。
本章では、Rを用いたPSM の分析手法と結果の解釈に加えて、PSM に関する学術的背景についても説明することで、「PSM が何を明らかにしようとしているのか」を直感的に理解できるようになることを目的とする。そのために本章では、以下の順でPSMについての説明を行う。第一に、PSMでどのような情報を得ることができるのかを概観するため、PSMで用いる調査・分析方法を紹介する。PSMでは、ある特定の製品に対して、(1)安すぎて買わない価格、(2)やすいと感じる価格、(3)高いと感じる価格、(4)高すぎて買わない価格、について「〇〇円」という形で回答してもらうように質問項目を設計する。そして、集計結果に基づき、任意の価格水準に対してどのように(例えば、安すぎるや、安い、高い、高すぎると)感じている消費者がどれだけいるか、頻度を計算する。この頻度に基づき、市場(回答者)における受容価格域、無差別価格、最適価格を導出する。これらの算出される結果を適切に解釈するためには、PSMの背景にある学術的議論について理解する必要がある。
そのため第二に、PSMの背景に存在する学術的議論について簡単に触れる形で価格概念について説明する。マーケティング領域では、消費者の価格への知覚として、「安すぎて不安だから買いたくない」という価格を下限、「高くて買えない」という価格を上限とする形で、消費者が受容する(製品を買う)価格帯が存在すると考える。このような価格帯を受容価格帯と呼ぶ。また、この受容価格帯の範囲内において自身の持っている基準から消費者自身が「高い」や「安い」と感じる価格のことを内的参照価格と呼ぶ。PSMは主にこれらの価格受容帯と内的参照価格とを捉える形で市場(回答者)における価格の特徴を特定化する手法だと言える。
PSM は,本章を執筆している2025年中にその重要性が増したように感じている。PSM は製品の価格決定を補助するための調査・分析方法だが、企業の製品価格の決定では、製造企業の生産にかかる費用をもとに、企業が利益を得るという観点から適切な価格決定が行われることがある。一方で、市場に存在する消費者が製品の価格についてどう感じるかも同時に重要である。PSMは後者の観点から、適切な価格域を探索する方法だといえる。例えば2025年に米の価格が高騰したことを受け、日本政府は備蓄米を5月から放出した。これについて当時総理大臣を務めた石破茂氏は同年5月に「5キロ3000円台」を目指すと宣言した(日本経済新聞, 2025)。米の価格高騰や備蓄米放出の放出に関する議論の際に頻繁に用いられたのが「適正な価格」という表現だ。では,ここで語られていた適正さとはどのような基準で考えられたのだろうか。当時の米価上昇の背景には、生産費用の高騰や収穫量の減少などの要因が重なっていた。一方で消費者に受け入れられる価格という点については本章で紹介するPSM の枠組みを用いて調査・分析を行うことによって,市場に存在する消費者が抱く価格への評価や反応についてのより慎重な調査や議論ができたかもしれない。米に限らず、生産費用が高騰していく経済状況においてはに企業は値上げについての意思決定に迫られる。その際に、自社の主要商品の価格に対して、消費者がどう感じているのかを調査・計測していくことは重要だろう。なお、PSMに関連する既存研究や学術的背景については、別途テキストを参照してほしい。
また、本章の最後にはPSMに関する説明でよく見られる実践的な注意点も紹介する。PSMの実行においては、本章で紹介する方法とは異なる、一般的には誤用と考えられているアプローチを活用しているケースも多く見られる。本章では主にWestendorp型と呼ばれているPSM法に焦点を合わせ説明しているが、誤用とされる方法は主にNMS(Newton, Miller, and Smith)型と呼ばれる。オンライン上では、特に断りなくNMS型を使用・参照している記事も多い。試しにオンライン上で「価格感度測定」と検索すると、公共性が高く信頼できそうなソースであっても、NMS型を紹介しているウェブサイトを確認する事ができる。本章では、NMS型アプローチがなぜ好ましくないのか、そしてなぜそれが広まったのかという経緯についても説明を加える。