3.5 学術的研究のための留意点

3.5.1 マーケティング研究と科学哲学

本資料では、主にマーケティングに関する定量的な調査・分析手法を紹介している。それでは、これらの手法によって明らかにされた知見はどのような意味を持つのだろうか。人によっては、データに基づき定量的に示された結果は、揺るぎないこの世の真実であると考えるかもしれない。しかしながら、そのような捉え方は科学的とは言い難い。そのために本節では、研究を行うことそのものの目的について学術的視点から考えることで、社会科学における科学的姿勢とはどのようなものかを概観する。

「科学的であるということはどういうことか。」この問題について考える領域は科学哲学と呼ばれており、本節では社会科学における科学哲学(吉田, 2021)とマーケティング研究におけるパラダイム議論(宇野ほか, 2022)の議論を整理した内容を紹介する。そのため、この議論に関心のある場合には、これらの文献およびそこで提示されている関連図書を参照してほしい。なお科学哲学に関する議論は、学術的研究を実施する際に特に重要な内容である。そのため、本節は大学院修士・博士課程に在籍、または今後進学を考えている読者に特に理解してほしい。科学哲学の潮流においては、論理実証主義、反証主義、解釈主義、などいくつかの主要な考え方が存在する。宇野ほか(2022)によると、マーケティング領域においては実証主義と解釈主義という二つの主義が主流のパラダイムとして存在する。実証主義では研究者は現象から独立した存在という立場のもと、普遍的な法則見出すことで知識を形成すること目指す。一方で解釈主義では、研究者が現実から独立し事象を観察することは困難であるという立場をとる。

その上で本資料では、より広範な社会科学における科学哲学との関連で議論が可能になるように、吉田(2021)の議論に従い、主に自然主義と解釈主義という二つの考え方に大別し議論を整理する。第一に、自然主義は現在の社会科学研究における有力な立場であり、社会現象は自然現象と同じように研究できると考える。これは、特に数学や物理学を中心に自然科学として蓄積されてきた方法論や考え方を採用することで社会現象に関する客観的かつ信頼性の高い知識の蓄積を試みる考え方である。上述の実証主義はこの自然主義的潮流に含まれる、19世紀に論じられた哲学である。その後様々な批判や社会変化を受け修正されることで、20世紀前半には論理実証主義という形で論じられるようになった。論理実証主義では、論理的に推測されたものが客観的な経験的事実に基づいて証明されたとき、それを科学的に正しいと捉える。そのうえで、このパラダイムでは再現可能性が重視された。しかし現実的には、科学的に正しいとされた検証結果が後に覆ることもある。その際、元々正しいとされた結論をどのように受け止めるべきなのかという問題が残る。また、論理実証主義的立場からは、観察・検証できないものは科学でないと切り捨てざるを得ない。

これらの問題を克服すべく議論されたのが、ポパーによる反証主義である(ポパー, 1980; 吉田, 2021)。反証主義においては、科学的であることの条件として「反証可能性」を重視する。これは、ある主張が科学的であるためにはその主張が間違っていることを証明される可能性を有している必要があるとする考え方である。反証可能性の詳しい説明と具体例については後述するが、このように自然科学的科学観に基づき社会現象を研究しようとする考え方を総じて自然主義と呼び、現代の社会科学研究の主流となっている(吉田,2021)。なお、宇野ほか(2022)によると、2016年から2021年に出版されたマーケティング領域のトップジャーナル8誌3に掲載された論文のうち、96%以上が実証主義的アプローチに基づくものであったとされている。

第二の解釈主義は、社会現象の研究には独自の手法が必要であるとする立場である。本資料では解釈主義に関する詳細な説明は避けるが、この考え方では特に社会現象においては因果的説明だけでなく、社会現象を構成する人々への内的な理解も必要であると考えられている。また、解釈主義的立場は反実証主義的立場を取り、社会科学研究においては研究者や研究対象者の意図を排除することはできないので、自然科学のように客観的かつ中立的な研究を実施することはできないと主張する。社会科学は自然科学とは異なり、社会現象を研究対象としている。この社会現象の特殊性が、解釈主義者が自然主義を批判する根拠となる。特に社会現象においては、「意図せざる結果」の影響が自然科学に比べて強いということが言われている。この意図せざる結果は主に「自己成就的予言」と「自己破壊的予言」に分けて説明することができる。自己成就的予言とは、たとえ事実に基づかない予言であっても、何らかの発言(予言)を行うことでそれが実現してしまうことである。例えば社会的不安を煽るデマ情報が流布され、その情報を目にした民衆がその不安を信じ込んでしまうことで、本来は根拠ないデマであった予言が実現してしまうことである。一方で自己破壊的予言は、予言されたことによってそれが実現されなくなることである。例えば、根拠があるものの楽観的な予想が提示されたことによって、当事者が油断しまいその予言が実現しなくなることが典型的な例として挙げられる。

解釈主義者が主張するように社会現象と自然現象には違いがある。違いがあること自体は事実であるため、社会科学がただ暗黙的に自然科学と全く同じ手法を踏襲するということが好ましくない場合もあるかもしれない。しかしながら、だからといって自然科学で蓄積されてきた客観的かつ信頼性の高い手法を放棄すべきだということはあまりに極端な主張であるとも考えられる。これらの主義については唯一絶対の正解が存在するわけではなく、継続的な議論や批判による発展が必要になる。しかしながら吉田(2021)は、現時点において社会科学分野で科学的研究を行うためには、研究プロセスは最低限、推測と反駁の方法として「反証可能性」を有している必要があると主張する。この反証可能性は、先述の通り反証主義的考え方であり、「漸進的な発展を想定した科学観」を反映している。反証可能性はテスト可能性などとも呼ばれ、科学的理論それ自体が正しいのか誤っているのかを確認することができる可能性を表す。反証可能性はポパーによる反証主義において科学的基本として捉えられており、科学的な理論や主張はそれを反証する余地を有する必要があると議論されている。つまり、科学とは何らかの真理に至るための方法論であり、何らかの絶対的な真理を前提とすることは科学的ではないと考える。そしてこの反証可能性が科学的か非科学的かを分ける決定的な違いであると捉えられている。

反証可能性を有していない議論の例としては、フロイトによる精神分析が有名である。精神分析は常に正しい理論であるため、科学的ではないと言われている。この点について伊勢田(2003)は、以下のように説明している。精神分析の枠組みでは、人間の心は自我(意識的欲求)、超自我(社会的・道徳的行動統制)と、イド(無意識の欲求)によって構成されている。この理論において、研究者が潜在的な無意識の欲求が本当に存在するのかという問いに関心をもったと想定する。研究者による調査・分析によって、その潜在的な欲求を示唆する行動が観察されれば潜在的欲求仮説は支持される。しかし、そのような行動が観察できない場合、どのように結論付けられるのか?フロイトの理論では、「無意識の欲求は存在するが、超自我によって統制されて顕在化しない」と説明される。すなわち、無意識の欲求の存在についてこの理論は反証可能性を有していないことになる。このように反証されるリスクを背負っていない主張は、反証可能性を軸とした科学哲学に基づくと科学的ではないということになる。

例えば、「AはBを高める」という予想があったとしよう。この予想が科学的である場合、特定の手続きを経て調査・分析を行い、ある結果が出ればこの予想を受けいれ、それ以外の結果であればこの予想が誤っていると結論づけることができる。このように、ある理論が科学的であるためには、絶えず反証による理論の修正や、新たな理論の提案を行うことが可能であることが重要となる(ポパー, 1980; 吉田, 2021)。その上で本資料では自然主義的な立場を取りつつも、社会現象が持つ独自性をもつことも認める。そのうえで吉田(2021)の議論の通り反証可能性をもつことが科学的知識の条件として考える。そのため、調査・分析の結果も唯一絶対の真理ではなく常に反証される可能性を有している、という理解のもと本資料の内容が構成されていることを理解して欲しい。本節では、我々が調査によって明らかにする知見・理論が持つ特性や目的について、主に反証可能性という概念の重要性を論じてきた。次節では、次節では、学術的研究において重要になる理論および理論的貢献について説明・紹介する。


  1. Journal of Consumer Psychology,Journal of Consumer Research,Journal of Marketing,Journal of Marketing Research,Journal of the Academy of Marketing Science,Marketing Science,International Journal of Research in Marketing,Journal of Retailing↩︎